日本の場末で人生を振り返るブログ

人生楽もねぇ苦ばっかだよ

2011年3月12日

12年前の3月12日土曜日

震災の翌日。


特に何の連絡もなかったので出社。

当時バス通勤で、バス走ってるかなーって思ったけど、かなり減便されてはいたものの、いつも乗る時間のバスは動いてました

でも流石に郡山駅前は閑散…。
ほんと車も人もほとんどいなかった


仕事場のビルも、エレベーターがもう普通に動いていて、オフィスのある19階まで楽に行けました
前日階段で3往復したのがウソのように楽…

いつも通り社員証をかざしロックを外して入ろうとしたけど、

オフィスの鍵が開いていない(自動ロックは解除されたけど、手動のロックが外れていない)


あれ


他のドアを開けてみてもロックされてる

セキュリティで社員証は認識されちゃったから、一応自分はオフィスの中にいる事になっているので、他のオートロックは解除できない


なんてこった


でも臨時で休みになる連絡も来てないし、俺はいったいどうしたらいいんだ!

って感じで廊下から外をぼーっと眺めつつ、19階から地震の爪痕をいろいろ観察


そんなこんなで1時間は経過したころ、支社長がやってきて


え、なんでいるの?と驚かれる


いやむしろなんでみんないないの?



ちなみに自分、3/1に転職して働き始めたばかり。
そしてまだ研修中だった3/11に被災


親会社が一部上場企業とかなまじ大きい会社だった為、災害時の緊急連絡用サイト?みたいなのがあったらしく、自分はまだそれに登録してませんでした(やる事いっぱいありすぎて後回しにされてた)

どうやらそれ経由で、今日は休みだよって他の社員には連絡が来ていたらしい。


さらに、それに登録されていない自分は、本社内で連絡が取れない行方不明者扱いされていたらしい。

直属の上司…教えてくれよ…


まぁ、前日は携帯もまともにつながらなかったし仕方なしといえば仕方なし。



支社長にオフィスのドアを開けてもらって、オフィス内から社員証を認識。
これでオフィスから出た事になり、無事帰路へ。


でも、帰りのバスがしばらく無い…
時間つぶそうにもどこもやってない…


結局徒歩で帰ったんですが



帰ってテレビをつけたら


原発がボーンってしたニュースが流れてました…
もう絶望しかなかったよね…

そしてさっきまで出てた水道も止まってた…
大丈夫だと思ってお風呂の水流しちゃったのに…(どうやらアパートの貯水タンクに水があったおかげで今まで大丈夫だったらしい)
もう絶望しかなかったよね