日本の場末で人生を振り返るブログ

人生楽もねぇ苦ばっかだよ

11年前

毎年この時期になると心がざわつきます。
落ち着きません。
まぁいわゆる被災者になるのかな、自分。


以下は11年前の過去日記の転載になります


3月11日14時46分
研修室でお勉強してたら地震発生。

ぉ、また揺れだしたなーと思って、揺れる郡山市を高層階から眺めてやろうじゃないか!
とか思って窓まで行った瞬間、この地震がいつもと違う揺れ…縦揺れだという事に気づく…


あ、これヤバイ…と思いつつも、まさかあそこまで大きくなるとは予想できませんでした。
宮城県沖地震が数年以内に高い確率で来るって言われてたのにこの行動。まさに平和ボケだよね…

窓から外を眺めつつも、次第に大きくなっていく揺れに外を眺めるというより、そこにしがみついて動けなくなる状態。
しがみつきながら外を見ていると、近くの病院がぐにゃんぐにゃんと揺れ砂煙があがり、所々でバチッと火花が。

他にも近くの交差点の信号機が落ち、どこから飛んできたのか書類が空を舞い、新幹線の線路の影から黒い煙があがる

まだ揺れが収まらない

遠くに見える、実家の方角にある観覧車、歯科大
とりあえず倒れてないから実家は大丈夫なのかな、って自分に思い込ませる
車はすべて止まっている
新幹線の線路がまさに波打つのがはっきりわかる


それでもまだ揺れが収まらない


このまま続けば、このビル崩れるな…


ちょっと前にも強めの地震があって、その時先輩に
このビルは地震に強い造りになってるからあんまり揺れないし、そう簡単には崩れないよ
って聞いてたけど、さすがにこの揺れじゃ時間の問題かと思うほど。
近くのビルに組まれていた足場が崩れる。
窓辺につかまってるのに、今自分がいるビルの側面が見えました

あ、折れる…
正直死ぬかと思いました


奥さんにメール打とうかとも思ったけど、揺れの激しさに手が離せない
とりあえずメールを打てたのが
地震ヤバイ
の一言。これだけで送信
これはきっと余計不安になるヤツ(笑)

そう思った矢先に揺れが収まってきて、次第に聞こえる警報音


4階で火災発生


とりあえず事務所に戻り、先輩たちと非常階段で避難。
こういうときに19階って不便ね…

非常階段の電気も落ち、真っ暗な中を先輩達と携帯のあかりを頼りに降りていくと、次第に人も多くなり、10階のあたりからは電気もついてました。


途中にある学校が入っているフロアから、40代(当時)くらいのてっぺんハゲたさえないオッサンが来たんだけど、その人がトロトロと流れに乗らずに歩いてるんですよ
ちょうどその人の真後ろに付いちゃったんだけど、そしたら携帯で


地震なう


とか打ってやがるし。

ツイッターなんかやってないで、さっさと歩け!って思わず寂しい毛をむしって蹴飛ばしてやろうかとも思ったけど、二次災害につながるから自重。

そしてなんとか地上へ。

みんなビックアイの1階に集まってたけど、あぶないからって外に出されました


全員バスプールに避難してると、大きめの余震。

ペデストリアンデッキ?(うろ覚え)あの駅前の上の所歩けるやつ。と、ビックアイの2階を繋ぐ部分が大きく歪んでました。
他にもお店のガラスが割れてたり、ナントカデッキの柱の下の方のタイルが盛り上がってたり
結構な爪あと。

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3.11駅前

でも余震は容赦なく襲いかかります

地割れや陥没が駅前の道路に刻まれました


しかも次第に天気は雪にかわり吹雪へと…
人込みの中から、「津波が来てる!仙台空港!」「え、マジで!」
とかいろいろな情報が飛び交う


ビックアイの店舗の方は、もうシャッターが閉まって入れないので、バリケードを避けてエレベーターホールへ避難。
入っちゃダメなんだけど、さすがに寒くて外にはもう居られませんでした

そしてそこで数時間。
携帯もつながらず、メールも送れない。

そんな事しているうちにバッテリーがあと一本…

節約しようとした途端に親戚から電話

親戚「あ、大丈夫だった!?」
ブツッ(バッテリー切れ)

…きっと余計心配になったろうなぁ(苦笑)


そのうち、このまま帰るにも鍵やら荷物が事務所に置きっぱなしだよね…って話しになって、あくまで“自己責任”って事で、警備員の人に話して19階へ。

さすがに19階まで階段で行くのはキツイけど仕方ない。個人情報は保護しないと。

そして12階あたりまで来たときにまた揺れと警報が。
急いで地上へ戻る。
リレミトとかあれば便利なのに…(笑)

ちょっと時間をおいて、再度19階アタック。
10階あたりまで来た時には、もう足がガックガクで、地震で揺れているのか、自分の足が震えているのかわかりませんでした
そんな中また警報が鳴り響く。
きっとこれは俺の足が揺れてるだけだよね。って事でそのまま突貫。

簡単に書類を片付け、荷物をまとめてまた階段で地上へ。
その間も続く余震。


さすがにバスも動いてなかったので、帰る方向が同じ先輩に送って行ってもらいました。
帰りの道も、どこも渋滞。
橋梁と道路の接続部分も段差が出来てるから、ちょこっと沈下したみたいね…
お店もさすがにどこも閉まってました


そんな中、先輩がやっとご家族と連絡とれて被害状況を聞いていたら、バイクが倒れてミラー破損。テレビも倒れて液晶割れたとの悲しいお知らせ

俺のアクオスが…って結構凹んでました

そんな悲しみに満ちた中、アパートまで送ってくれてありがとうございます。


アパートに帰ってくると、住人がほとんどエレベーターホールに出てきてて井戸端会議。
エレベーターも止まってるからスルーできずに全部の階でおばちゃん達に巻き込まれる罰ゲーム。

ようやく部屋にたどり着いて、玄関を開けて目の前に広がる部屋の惨状
先輩の話もあったので、ある程度覚悟はしていました



……


………


あんまり被害ねぇな

むしろ普通に俺が片付けてないから目立たないのか…?


とりあえず目立った被害報告


台所の調味料が全部シンクに落ちて、一部水浸しで使い物にならない。
本棚から全部本やDVDが飛び出してた
俺のガンプラが倒れてちょっと壊れた
エアガンが落ちて壊れた(修復不能なのでこれが一番被害甚大)

以上。


外であれが壊れたーそれが倒れたー、玄関あけるとびっくりするからね!って笑いながら騒いでたオバチャン達、なんかすまん。


しかも、息子(当時2歳)になくされたと思ってた『水曜どうでしょうヨーロッパ21カ国完全制覇の旅』のDVD1巻がどこからともなく出てきてました。


以上転載終わり





この日記つけてた頃は、まだ地震だけで放射能どうのこうのって話がなかったから平和に笑い話にできたんだよね。
ま、それも生きていたからこそ。
この別な場所ではFukushima50みたいな出来事が起きていたんだよなぁって思うとやるせない


東日本大震災があって、原発事故があって、そして色んな選択肢の中、今自分は北海道にいる。
理解はしてるけど、まだイマイチ納得はできてない部分もあります。
これからどうしよう、どうしたらいいんだろうって毎年考えます。

答えなんてしばらく先まででないんだろうと思います。
ま、なるようになるさ 
いつもこう自分に言い聞かせて終わるんだけどね(笑)